陰毛大臣

人間オタク

公園ジプシー

「タピオカ飲むときにベビタッピって言いながらストローを挿すのが流行りなんだって、可愛いよね」

沙紀が言ってた。

 

なにがベビタッピだ。

私達はグルーヴ感と所謂ノッてる感じがあればそれはベビタッピじゃなくてタピパッキンでもフルボッキでもいいのだ。

そんなノリに私はもう飽き飽きしていた。毎日続く中身ない会話、それでも一人は寂しくて学校では何人かでつるんでいた。グループで会話している時はいよいよ自分がそこに居なくてもいいように感じる事が増えて、「このまま魂だけ抜け出したい」とさえ考えるようになった。

 

高校生なのに未だに交際人数も0人という事実からくる劣等感で異性は勿論同性へも嫌悪感を抱いていた。

 

なんで女に生まれてきたんだろう。なんで同性の人達はこんな楽しそうにしているの。なんで可愛らしく振舞うエネルギーがあるの。私は何をすれば、何を得られれば満足できるの。

 

 

答えの見つからない問いかけをひたすら頭の中で繰り返しながら両手で携帯を持ち、目線は前を向いて公園のベンチに座っている。

これが私の最近の下校時に行うルーティンだ。

脳内では考え事をしていても五感が伝える情報は強大で、公園で楽しそうにかけっこをして遊んでいる子供が目に入る。

公園特有の草木と砂の混じったにおいが鼻腔をくすぐる。

ルーティンが続いているのはきっと私がこの景色と香りが好きだからなのだと思う。

 

 

ふと月曜日にこの姿を3組の寺田先生に発見され、話しかけられた事を思い出した。

「大丈夫?何か悩み事があるなら話聞こうか」

確かに魂が抜けたように前を向いて考え事をしている女子校生を見つけたら担任は放っては置けないだろう。

善意から話しかけてくれたのはわかっているのだが、私は弱いところを異性に付け込まれるのも癪で「悩んでなんかいません」と冷たくあしらってしまった。

先生が私に背を向けた時の少し窄んだ背中が今でもフラッシュバックする。

 

「なんであんな態度取っちゃったんだろう」

口に出して呟いた。

 

最近は陽気が続いていて、赤いツツジの花が満開で並んでいる。「冬は30年前の話ですよ」と言わんばかりの顔の出し方である。

そんなツツジの傍で穴を掘っている子供が目に留まった。

毎日ベンチに座っている私の記憶だとこの子供は3日前までは一度も見たことが無く、最近ここに越してきたと予想している。

 

なぜこんな事を覚えているかというとその子は遊び方が異質だからだ。

彼はツツジの咲いている傍の土をひたすら下へと掘っているのだ。一人で。

掘るのを辞めたかと思ったら、思い付いたようにツツジの花を根元から摘み、嗜好品のように蜜を吸って一息ついてまた穴を掘り始める。私の好きな博打漫画に出てくる、地下で労働させられるドカタみたいだ。

そして夕方遅くになるとあそこのベンチで黄昏ているお兄さんを連れて彼は帰る。おそらく若く見えるあのお兄さんは親なのだろう。

 

お兄さんを見ていた私だが、自分の元へ目線を戻すと例の穴掘りの子供が私のそばに来ていて、何か言いたげな目で私の事を見つめていた。

「お姉ちゃん」

「.......なに?」

「これいる?」

推定幼稚園年長の少年は小さな握りこぶしを左手に作って私の前に突き出した。手は泥だらけで少し汚いなと思った。

そして返事を聞く暇も与えずに私の目の前で突き出されたこぶしは上向きになってぱっと開かれた。

「きゃっ」

思わず叫んでしまった。カブトムシの幼虫だった。大人になるにつれて触るのが気持ち悪いなと思って虫を敬遠していた私は、急に間近で生きた幼虫を見せられて驚いてしまった。

「虫、きらいなの?」

何も悪気のなさそうな顔で少年は尋ねる。

「いきなり見せられると」

「虫はね、ちいさくて弱いんだよ」

少年はまるで脳ミソが劣化させられた孔子のような教えを私に説くと

「よわいのよわいの飛んでけーーー」

と叫びながら手中の幼虫を草木の方向へ思い切り投げた。

 

訳の分からない無邪気な叫びとカブトムシの幼虫を投げる非日常感が面白くて私は笑ってしまった。こんな自然に笑みが零れたのはいつぶりだろうか。

「おねえさん」

「なに?」

「いっしょに遊ぼう」

目の前の小さな子供から遊びの誘いを受けた女子校生の私は返答に迷った。

 

「遊んでやってくれませんか」

私の後ろからベースのような低音が聞こえたので振り返ると、少年が夕方になると連れて帰る親らしきお兄さんだった。

初めて近くで見るが、意外と目鼻立ちが良くて肌がきれいだ。まだ20代なのではないか。

「はぁ」

そんな事を考えながら適当に返事したらイエスと受け取られたらしく、少年が「やったー」と喜んでいた。

「ぼくはさくたろうです」

笑顔で私に短い自己紹介をすると少年は私に「ついて来い」と言わんばかりに身を翻して、掘っていた穴の方へ向かった。

 

「サクタロー」

中々語感のいい名前を口にしたくなって呼んでみる。

「なにおねえさん」

「君はみんなとかけっこをしないの?」

私はずっと気になっていたことを尋ねた。一応初対面なので、相手が大人だったら「自分の事よく見てるな」と思われそうな質問だが、そこら辺の気は使わないのが子供の楽なところだ。

サクタローは「うーん」と声に出して考え出したかと思ったら

「おもしろくないから」

と直ぐに答えた。

 

ふーん。なんか捻りのないつまらない回答だ、と思った。

 

私はサクタローに穴掘りの手伝いをさせられた。

彼の聞くところによると、この穴は何故か掘っても次の日には元に戻っているらしい。掘られた穴を埋め立て直す人の迷惑そうな顔が目に浮かぶ。浮かんだが穴掘りを手伝うことにした。

 

2人で細々と無心で掘っていると何故だか夢中になってしまってこのまま朝まで出来るのではないかとさえ思ったが、日が暮れ始めた。

 

「今日はありがとう」

遊んでいる時、私達の事をあまり見ることもなく黄昏ていたお兄さんに最後感謝された。

「またあしたね」

サクタローの純粋な目を見ていると、また明日も遊ぼうかな。という気持ちになれた。

 

 

それから私はほとんど毎日サクタローと遊ぶこととなった。

彼は掘っても掘っても翌日には元に戻る土についにギブアップをして、今日は木登りをしている。ケヤキに登ろうとしていると言った方が正しいだろう。

 

制服で木登りを一緒にするわけにもいかないので黄昏るのが好きなお兄さんの隣に座った。

「サクタロー君面白いですね」

彼とあまり言葉を交わしたことの無かった私だが、気まずくならないように話しかけてみた。それと同時に彼らと出会う前の私だったら一人で殻に籠って話しかけなかっただろうな、とも顧みた。

 

「子供は天才だからね」

お兄さんはぽつりと言葉を落とした。

「天才?」

「子供は自分が楽しいと思う事なら集中して取り組むし、つまらないと感じたらパッと辞めてしまうだろう」

初めて遊んだ日の事を思い出した。彼は他の子とかけっこするのがつまらないと述べていた。

「朔太郎は人見知りではないんだけれど、あまり同じ年の子と遊ぼうとしなくて」

確かにサクタローは虫を見せるために私に話しかけてきた。

「あの子達とかけっこをするのが楽しくないって言ってました」

団体で遊んでいる子供たちの方向を見て答える。

それからお兄さんは暫く何も言わず、少し間が空いてから喋り出した。

 

「俺と朔太郎の様な人は公園ジプシーって言うらしい」

「ジプシー?」

「ヨーロッパを移住する民族の事だね。俺たちは他の公園でママ友や子供同士が仲良くなれなくて、朔太郎も同じ公園で遊ぶのが飽きて移動して来たんだ。」

「そうなんですね」

「朔太郎もやっと気が合う相手を見つけられた。いつも遊んでくれてありがとう」

私の顔を見つめるお兄さんになんだか照れくさくなって私は感謝に対する言葉を探していた。

 

「おねーーーーさん」

逡巡する私のことを一向にヒノキに登れないサクタローが呼ぶ。

私はサクタローに「はーい今行く」と返事をしてお兄さんに会釈して照れから逃げるように彼の元を発った。

 

 

 

そして一カ月が経った。

彼らと出会った後の私は明らかに変わっていった。

学校で常に周りと会話するということが無くなった。

前は休み時間は毎回固まっているグループに入ろうとしたのに今は1人で本を読んだりしている。ふと寂しくなったら沙紀の元へ行って話したりする。

そうしていると段々人は寄り付かなくはなったが、無理をしているという感覚は無くなり、話す友達の事を前よりも大事に思えるようになった。

 

私は充実した時間を過ごしていると思えている。

充実した時間の中にはサクタローとお兄さんとの時間ももちろん含まれている。

サクタローに生えている草木の種類を教えたり、一緒に靴底をすり減らしながら遊んでいる時間は楽しいし、お兄さんともよく喋るようになった。

お兄さんは相変わらず空気感と喋る内容が変で、宇宙に居るような気分になることもあるけれど、やはりサクタローの親であった事と妻と離婚した事だけは知れた。

それを機に私は何故だかお兄さんに親近感を覚え、より何でも話せるようになった。

私は学校の友達の言ってた話や勉強の話、サクタローの将来の話など何の話でもお兄さんに持ち掛けた。

 

 

 

 

「引っ越しすることにした」

 

梅雨前線が列島に近づいている頃、お兄さんが私にいつものような無表情で打ち明けた。

脳がストップした。冗談じゃないかと確認をしたが冗談ではないらしい。

「俺、漫画を描いてて。お世話になる会社が変わって連載が始まるからアシさん付くし、引っ越しをすることにしたんだ。」

次々と私を驚かせるようなことを言う目の前の彼は相変わらず無表情だ。

静寂が訪れる。

外は蒸し暑くて、何も考えられない私は頬から汗を垂らした。

何を言っているのだろうか。何故かこの人の別れた妻の癇癪した姿が無意識的にイメージに浮かんだ。

 

私は口を噤んでじっと下を向いていたが、ボロボロになった自分のローファーが目に写った。

この靴の汚さが、私と彼らの共に過ごした時間を溢れるように思い起こさせた。

「なんで私を置いて行っちゃうんですか」

これしか言えなかった。目には泪が浮かんでいた。

 

サクタローと出会い、サクタローがお兄さんと私を繋ぎ、三人で過ごした毎日。

2人が来ない日は「何してるんだろうな」と想像して、私が友達と遊んでこれない日は二人の事を気に留めたことも何度もある。

 

そして私はこの出会いのお蔭で自分が変化した。

サクタローと出会う前の燻った弱い私はどこかに飛んでいったつもりだった。私は自分の本能のままに物事を選択するようになった。サクタローと同じ天才なのかもしれない、なんて考えたりもしたっけ。

ただそれは三人でいたからだと今認識した。

私は二人が居なくなったらまた前の私に戻ってしまうのではないか。

何より大きな寂しさがあった。二人の存在は私の中で日に日に大きくなっていたのだ。一緒にいると優しい笑顔になれるサクタロー、何の話でも遮ることなく聞いてくれるお兄さん。

ジプシー、なぜ私一人だけ置いて行くの。

「ごめんな」

お兄さんがぽつりと呟いた瞬間、汗と共に目に溜まった泪が零れそうになって、私はベンチを立って思わず公園の外へと駆けだした。

 

 

 

それから私は公園に行かなくなった。

ここ最近はじめじめと雨が降っている。

こんな雨だと公園で遊ぶなんてことは無いのだが、もしかしたら雨の中私を二人が待っているのではないかという想像を偶にした。

それでも、自分から出て行ってしまったばかりに戻るのも気恥ずかしいという本音もあって公園の傍に立ち寄る気も起きなかった。

 

二人の居ない日々は退屈だ。なんだかクラスで私一人だけ自分勝手に生きているように見える。

何故一人になったとたん自分の事が自分勝手に見えるのだろう。

そんなことを考えながら窓際の席で外のアジサイを見ながら古典の授業を聞いている。

小さい花弁から落ちる露。

その花弁が私の手のひらに見えて

「もう一度だけでも、会わないと」という気分にふとなった。

 

 

もう引っ越ししてしまっただろうか。

雨なのに誰も公園に居るわけがない。

それでも体が引き寄せられるように私は公園へと向かった。

 

公園の外から中を覗くと、一人、傘を差しながらぽつんと立っているのが見えた。

お兄さんだ。見慣れた猫背のシルエットである。

差している傘の元ではサクタローがあの日のように穴を掘っていた。ツツジはもう咲いていない。

毎日会っていた頃に比べて久しぶりに見る懐かしさと、雨なのに私を待ってくれているという嬉しさで胸が熱くなった。それなのに、私は未だに公園の外から覗いたまま動けなかった。

それから暫く雨の音を聞いていると

「おねーーさーーん」

と穴掘りを辞めたサクタローが叫んだ。

「おねーーさーーん」

サクタローは人目を気にせずに何度も叫ぶ。私はついに思いが溢れてしまって彼らの元へと飛び出した。

 

「あっ」

サクタローは気づいた瞬間驚いた表情をして、私とお兄さんの顔を交互に見つめている。

お兄さんに見られている思わず飛び出てきた私からは、何の言葉も出てこない。

 

「花は落ちてもまた次の年には咲いている。生きているから。」

お兄さんが急に脳ミソが欠けた孔子みたいな台詞を言った。

私はこの空気で喋る事ではないだろう、と思わず声に出して笑ってしまった。サクタローもけらけら笑っていた。

 

「おねーさん」

「なに?サクタロー」

「ぼくは今日でおわかれなんだ」

引っ越しの日は運がいいのか悪いのか今日だったらしい。

 

「君の為に絵を描いてきた」

お兄さんが鞄の中から色紙を取り出して私に渡した。

色紙には漫画のタッチで私とサクタローの遊んでいる姿が描いてあった。

「ほんとに漫画家だったんだ」

私は言いながら失礼だったかもと思った。

「あとぼくも描いたよ」

サクタローがそう言うとお兄さんは二枚目の紙を取り出して私に渡した。

紙には子供らしさしかない四角い服から毛のような手の生えた絵がある。クレヨンで色の付いた私とサクタローとお兄さんが三人で手を繋いでいるのがはっきりと伝わった。

 

「ありがとう」

私は二つの絵を傘を差しながら見ていたが、滴が一滴紙に零れてしまったので自分の鞄に閉まった。

私は何も用意していない、貰ってばかりだが今日が別れの日である。

もっと私が開き直って最後の時間をもっと一緒に過ごせたら。

 

そんな後悔もありながら、この三人の距離をいつまでも忘れたくないと私は感じていた。

「サクタロー、お兄さん。三人で一緒に写真撮ろう。」

「いいね」

「わかった」

自分のスマートフォンのカメラを起動した。

三人の顔がツツジをバックにして近づく。最初で最後の三人での写真である。

 

「はいチーズ」

一回で取れた写真を確認すると私の愛した笑顔と無表情の二人の天才がしっかりと写っていた。

 

それから私達は少しの会話をした。

二人の声を聞けば聞くほど

私もこの二人のように自由になりたい。

周りに何と思われても強く生きたい。どれだけ落ち込むことがあってもまた花を咲かせられるように。

そんな思いが募っていった。

 

午後5時頃になり、積もる話も無くなった。

「そろそろおうちに帰ろうか」

「うん、サクタローも風邪ひいちゃいますし」

「ぼくはぜんぜん大丈夫だよ」

これから別々の場所で暮らすことになるが、住所や連絡先を聞くのはなんだかずるいと思って辞めた。

私はローファーを脱いだ。

「ちょっと何してるの」

無表情のお兄さんの眉間に皺が寄る。

「ローファー、ボロいんで」

そう言いながら私はサクタローの掘った穴にローファーを投げ入れた。

「ヒャーーー」

サクタローは奇声を発しながらローファーの突っ込まれた穴を何の悪びれもなく土をかけて入れる。お兄さんはしげしげとその様子を眺めている。

その姿を見て、また私は心から笑ってしまった。

「じゃあ10年後位に集合して一緒に掘り起こしましょう」

「はあ」

お兄さんは私に圧倒されている。それでいい。

 

「それじゃ、また」

泥だらけの靴下のままで二人の元をいつまでも手を振りながら離れていった。

曇り空だが、雨は止んでいた。

 

 

 

 

 

 

それから大学生になった私は小説を書くことに精を出している。

この小説が、いつか私が書く小説が、この色紙を書いたお兄さんを迎え入れられたなら。また会いましょう。3人の天才で

 

 

 

 

 

 

 

おわり