オカマはゲイ
父親は無口な人だった。
毎日食卓では母親が喋りつくす。話題をひとしきり喋り終えるとそれにコメントするように父親が話す。二人の音は交わることなく、まるで小説の吹き出しの連鎖のように会話する。専ら吹き出しの殆どは母親の言葉で埋められるのだが。
父親は無口な人だった。
しかし喋る一言一言には我々を納得せるような理屈があり、話の節々には優しさを選んだ言葉があって、それらが聞き手を温かくさせ、魅了させた。少年の優しい心のまま、何にも穢れずに様々な事を学んでオヤジになったことが見ているだけで分かった。
父親が死んだ。
父親は僕の子供のころから変わりなく、穢れなく優しいイメージのまま尊敬する人としてこの世から発って行った。あまり喋らなかったのは、言葉の残酷なまでに相手から見られるイメージを変えてしまう性格を知っているためのものなのではないかとさえ思えた。それほど父親は美しかった。
無口なため、きっと若いころは女性に色目をあまり使われなかった口だと思うので父親を運命の人に選んだ僕の母親もなかなかセンスが渋いなと思う。
そんな父親が死んで心を塞いでいた僕は暫く学校を休んでいた。
そのままゴールデンウィークに突入し、携帯へ一通のメールが届いた。
「プライド祭りに行かないか。」
大学の親友の牧野からだった。
父親が死んでからは、呑みの席でドンチャンしたり、カラオケに行って盛り上がったりするような気分では無くなっていたためそのような機会は断り続けていた。そろそろ元の生活に戻すためにも今回は二人きりだし、リハビリにもなるかもしれない。と僕はその誘いを承諾するメールを返した。
プライド祭りとはレインボープライドというもので日本に暮らしているゲイやレズ、バイセクシュアル、トランスジェンダー(総称してLGBTと呼ぶ。)が行進や出店を開き、一般の人からの差別や偏見に晒されずに自分らしく生きることを主張するイベントだ。
「普通に女性を好きな僕たちが行っていいの?」と素朴に牧野に尋ねてみると
「無論多様性を主張するイベントであるから行ってダメなわけがない。」
と帰ってきたので鵜呑みにして信じることにした。
中学生の頃、オカマタレントがジェットコースターに乗ってしゃがれ声で叫んでいる番組を家族で見ていた。
「このオカマタレントは海外のニューハーフ美女コンテストで優勝したらしいよ。」
と母親が言いながらそのタレントの男根の生えたような叫び声にケラケラ笑っていた。
対して父親は無表情のまま真横を向きながらこう言った。
「オカマはゲイだ。」
「そりゃぁオカマはゲイよ。」
父親がまじめな顔で当たり前の事をいうもんだから今度は僕まで母親と一緒にケラケラ笑ってしまった。
普段真顔でいい事ばかり言う父なので彼が話すときは皆集中して聞くのだが、そうやってたまにふざけたときは肩透かしを食らってとても笑ったのをよく覚えている。
牧野と代々木公園駅前で待ち合わせた。
彼はまだ季節的には春だというのに半袖短パンの涼しげな恰好をしていた。
少し最近の学校の噂を教えてもらいながら歩いていると直ぐに会場の代々木公園に到着した。
会場内にはペアルックで歩いてる女性や筋骨隆々の男カップルがざらにいて、外国人も相当数いるな、という印象だった。雰囲気に圧倒していると
「お前になんでこんな祭りに誘ったと思う?」
と牧野が問いかけた。
まさか牧野は黙然としていたがゲイで僕の事をこのイベントを通して、と脳内を巡ったりもしたが
「逆境でも笑顔で生きる人たちをお前に見せたかったからだよ。」
全くの杞憂だった。
会場内にはいくつものブースが立っていた。
僕たちはひとしきり回りながら興味があるブースにのみ並ぶようにして時間を過ごした。写真映えしそうな場所で写真を撮って貰い、なぜかあるブースにはアダルトグッズが売っていたりして青年ながらに盛り上がった。
ある有名化粧品会社のブースに長蛇の列が出来ていた。牧野はそれを見るなり「並ぼうぜ」と言って最後尾に立ち始めたので僕も後を着いていった。無駄話をしながら列が進むのを待っていたが、途中になって、並んでいる列が「上手な化粧の仕方を教えてもらう」ブースであることに二人同時に気が付いた。
僕は即座に列を抜けようとしたが牧野が僕の手を引っ張った。
「俺達、オカマになりたいって設定で化粧してもらおうぜ。」
まるで新しい遊びを思いついたような悪戯っ子の笑みで牧野はそう言った。
結局ごねる僕を彼は開放することなく、順番は回ってきた。
「初めまして、水瀬です。よろしくね。」
僕の担当は5歳くらいは年上のとても綺麗な女の人だった。そして僕は打ち合わせ通りに
「僕、いつか性別を変えたいんです。」
生涯二度と喋ることのないような内容の嘘を憑いた。少し声は上ずっていた。
「なるほどね。」
少し茶目っ気が残る綺麗な顔の女性はじっと僕の方を見て
「うん素質あるかも」
と頷いて直ぐに僕に化粧を始めた。
化粧を始めたとは言っても男の僕は女性の使うメイク道具の大半を知らず、「まず化粧下地を...」と言われた事に、「はい」とつまらぬ相づちを打つばかりで、しまいには彼女も化粧をしながら化粧に関係ない僕の好きな芸能人などを尋ねるようになった。
それでもこんな綺麗な女性に顔を近づけている背徳感と、自分が女性みたいになってしまうのではないかという甘酸っぱい感覚とで胸がいっぱいだった。
「ちょっとあんまり私の眼見ないで」
と言われた時は鼓動が高鳴った。
僕の担当の水瀬さんはとても話しやすい人だった。話をリードし、僕が詰まったときは欲しい言葉をくれて、同じ所で笑い、僕はなぜか緊張しているにも関わらず話も同時に楽しむことが出来ていた。
「終わったよ」
楽しい時間は過ぎるのも早いものだ。僕は牧野の事なんて忘れていて、率直にそう思った。彼女はそんな僕の心境を掬う様な表情から笑みに変えて
「ねえ君、私がいいっていうまで目、瞑ってて。」
と言った。夢中だった僕は頭を逡巡させながら彼女の流れに身を委ねて目を閉じた。
頭に何かが被せられた。
「いいよ」
目を開けると僕の肩に髪の毛が掛かっていた。女性もののカツラを被せられていた。
「ドキドキしちゃったじゃないですか。」
つい緊張が解けて心の声を漏らしてしまった僕に彼女は「可愛いね」と答えてくれた。
その後、水瀬さんの持っていた手鏡で化粧してカツラを被った自分を確認した。
水瀬さんの化粧の腕は確かで、鏡に映る僕は確かに女の子だった。我ながらに可愛いと思った。
「どう、初めての女装は。」
彼女は僕に感想を求めた。
「自分がこんなに女の人みたいに変わるなんて思ってもいませんでした。」
「ね、化粧ってすごいでしょ。」
僕は水瀬さんの腕を褒めるべきところだったのだろう。
そんなことも言えなかったのは
「あと君、実はストレートでしょ。」
と続くようにして確信を突かれたからだ。
ストレートは素直に異性が性的に好きな人たちである。
「そうです。」
嘘をついた罪悪感と共に素直に僕は認めることを選んだ。
「やっぱり。君の連れの子は半袖短パンでゲイっぽかったけどいまいち決定打に欠けるし、でも君の化粧品の知らなさや目を見てたらストレートだってわかったよ。」
確かにそうだな。と牧野もさることながら僕の水瀬さんに対する視線も見抜かれていて少し衝撃を受ける。
「ねぇ実は私もあなたに言ってないことがあるの。」
とそういうと彼女は僕に耳を貸せ、と合図してきた。彼女の吐息にこそばゆくなる耳は僕にとって驚愕な情報も同時に拾ってきた。
「私、男から女に性別を変えたトランスジェンダーよ。」
えええ! と僕は思わず叫んでしまった。それくらい僕の嘘がばれていたことよりもこの告白はよっぽど衝撃で、なにより彼女は女性的で尚且つ美しかったのだ。
それから話がまた盛り上がって聞いたところによると、この化粧をするブースで水瀬さんはただ一人のトランスジェンダーで、他は全員普通の女性だったそうだ。
彼女は大学生の頃に女性になることを決意して、女性ホルモンを注射した。性器は取り除いたため、もう男の頃の自分とは大分違うらしい。
「私海外のニューハーフ美女コンテストで昨年準優勝だったの。」
「テレビによく出ていたオカマタレントの出ていた大会ですか。」
「そうまったく同じ。」
僕は中学生の頃の記憶を掘り起こしていた。
「確かその人って優勝していたような...」
「うん、優勝したね。」
「でも水瀬さんの方が断然綺麗ですし女性的で魅力があります!」
僕はそれは力強く答えた。それだけは本心だったし、真実を知らされた後も話しているとやはり水瀬さんは女性だったからだ。
彼女はふと優しい笑みを零した後に横を向いてこう言った。
「オカマはゲイだよ」
中学生の頃オカマのタレントを観ずに横を向いていた光景がフラッシュバックした。あの時言った父親の言葉が生真面目な言葉だったことに約数年ぶりに気が付いた。
「トランスジェンダーはたくさんいても、ああやって自分自身の事をネタにできるのはほんの一握り。普通なら自分の醜い見た目に嘆いたり、社会とどう付き合っていくか、身内にカミングアウトするのか。そんなことでみんな悩んでいる。私だって恥ずかしい話、不安で毎日吐いていたよ。」
ストレートの僕には想像もしたことのない苦しみをトランスジェンダーの人は抱えている。きっとゲイもレズもバイも同じ。それをテレビのタレントと皆同じだと錯覚してはいけない。あくまでも強い彼、彼女らにとってのオカマは芸なのだから。
「きっとそんな苦しみを味わったからこそ水瀬さんは今素敵な笑顔なんですね。」
「ありがとう。あ、そうだ。」
続けて彼女は喋る。
「このプライドに来てる人、これから道路を行進する人たちを私と別れたら見てきてごらん。笑っていない人なんていないんだよ。みんな明るい未来の暮らしに笑うの。」
この言葉を聞いて牧野の顔を思い出した。きっと牧野は父を失ったばかりの僕を笑顔にさせたい一心で、僕たちに全くの縁のない祭りに連れ出したんだ。
逆境でも笑う人たちを見せて僕に何か影響を与えようとした。
僕はいい親友を持っていたんだ、そう確信し牧野の顔が見たくなった。そういえばもう随分と待たせているのではないか。
カツラを置いて立ち上がった。
「水瀬さん、ありがとうございました。女装、楽しかったですし驚かされたしいい話も聞けました。友達が待ってるからそろそろ行きます。SNSとか見つけたら絶対にフォローしますね。」
腕と共に伸ばした掌に力が籠った。
おわり