陰毛大臣

人間オタク

プリパラにはなぜ嫌いなキャラがいないのか

僕はアイドルアニメが大好きだ

プリパラを最近視聴していたのだが、本作品はアイカツと比較して半ば個性や人格の否定をするアイドルがいるし、物語の途中では「なんでこんなに酷いことをするんだ」と意見してしまいたくなるようなキャラクターもいるのだが不思議と見終えた後には嫌いなキャラが居なくなる

なんでだろう不思議だ。それを考え抜いた果てに言語化したのが今回の記事だ

 

具体例を挙げるとプリパラには悪役が幾つかいる。プリパラを知らない人にもわかりやすく説明する。ので厳格には少し違う表現もするが大体あってるので大目に見て

1:大神田グロリア校長

大神田はプリパラ(アイドル活動)が大嫌いである。校長の権限を利用して「小学生のプリパラ活動を禁止」とし、小学生のプリパラチケットを没収する事に精を注いでいる。プリパラチケットが無いと活動をすることは不可能であり、没収された生徒はプリパラの出来ない生活を余儀なくされる

プリパラ活動をすることで心身や脳ミソ等の成長が見込めるデータがある(みれぃ談)のにも関わらず嫌いだからという理由で没収してしまうのはあまりにも横暴だ。プリパラ出来ない子たちが可哀想だ。なんだこの大神田とかいう奴、腹立つわ。

しかし大神田がプリパラを憎むのにはバックボーンがあった。

小学生の頃に大神田はプリパラ活動をしており、親友と呼べる人も活動のお蔭で作ることが出来た

しかし親友とプリパラ以外で会って遊ぼうか。となった時に親友は約束の場所に来なかった。それから連絡も取れなくなり、その日出会えなかった大神田は来る日も来る日も待ち続け、また親友を探したのだが見つかる事は無かった。

 

「今まで過ごしてきた時間はまがい物だったのか」「友達なんて信用出来ひん」「プリパラ辞めたほうがいいぞ」

 

親友に裏切られた結果そんな考えに変化してしまった大神田はその後先生となり、プリパラの不必要性を説き、生徒のチケットを没収して回るようになったのだった

 

2:ファルルとユニコーン

ファルルという謎の地球外生命体ロボットアイドルを見つけたユニコーンマネージャー。ファルルにはプリズムボイスという最強の声を持ち合わせており、ことライブに関しては誰よりも完璧なパフォーマンスをするのである。しかし人間でないアイドルのファルルには心が無く、イマイチやっていいことと悪いことの区別がついていない

そしてそんな赤ちゃん同然の知能を管轄しているのはマネージャーのユニコーンであり、ユニコーンはファルルを伝説のアイドルにするために彼女を隔離させ自分のいう事しか聞かないように、自分の言ったとおりのステージしかやらせないように教育する

結果、悪気は無いのだが主人公の事をユニコーンに唆されて煽ってしまうし、他の登場キャラのパクリステージをし続ける。他の登場キャラも紆余曲折があって自分なりのステージを作ったのにそれを一瞬で完璧にパクられるのだから堪ったもんじゃない。見てるこちら側も「うーん悪気は無いんだけど全くいい気持ちではない」という考えにさせられる。マネージャーのユニコーンには無論腹が立つ。

 

そんなファルルだがユニコーンの目を掻い潜って主人公と友情を育み始める。友情、心という概念や気持ちを知ったロボット、ファルルは自我を持ち始める。結果パクリをしなくなり、自分なりの完璧ではないステージを披露して主人公チームに負けてしまう。負けてしまったが満足だと、主人公とプリパラチケットを交換する

プリパラチケット交換はこの作品では友情の印である

心を持つのはロボット的にはバグであるとし、チケット交換をした瞬間エラーが起きてファルルはフリーズして動かなくなってしまう

動かなくなってしまったファルルに対して手塩にして育ててきたユニコーンは悲しみに明け暮れる

ユニコーン自身は本当はファルルに心を持たせて自分と仲良くなりたかった。でもロボットだからそんなことはしていけないと自分の気持ちを抑えて今までプロデュースしてきたんだ。と。

 

3:紫京院ひびき

突如現れたイケメン。

初手、自分が口説いて落としたキャラを「やっぱこいつ違うな。」と捨てたかと思いきや

「今のプリパラはつまらん。友情ごっこだ」と次は主張し、主人公達のチケットを奪い、心を折ろうと試みる

そして心折ることなくプリパラチケット窃盗犯罪者を追い詰めた主人公達一行に対し、今までで一番最高のステージをかまして実力の差を見せつける

挙句にプリパラシステム本部を乗っ取って「実力のある人しかアイドル活動を出来ない」システムにする。まさにやりたい放題だ。

 

みんな一緒。友達。みんなでアイドルして上へと駆け上がろう。

 

という本筋だった今までのプリパラを、ひびきによって

 

格差歓迎。友達は要らない。天才で実力のあるものだけアイドル活動。

 

という本筋に変えられてしまった。

 

本筋というのは作品を通して一貫性のあるものであり視聴者に伝えたいメッセージである。それは作品の中で一番の正義であるものなのだから、それをすり替えられてしまうと私たちは「今まで見てきた私たちのプリパラを奪うな」となり、ひびきを憎むことになる

しかしひびきにも2つ背景がある。

1.自身は才能があって金持ちだが、金目当てで近づいてきた友達に過去裏切られた経験があり、以後友達が居ない事

2.プリパラを誰よりも愛してやまない事。そして今、伝説のアイドルが居ない現状でやっているアイドル活動は友達と皆で仲良くゆっくり上を目指す内容のもの

その背景の結果、現状のプリパラ界隈に納得のいっていないひびきは、ひびきなりの正義を振りかざしてプリパラ界全体を自らの手で向上させようとしているのだ

 

 

 

 

3つの憎いキャラの具体的な例を述べた。気づいた人は多いのではないかと思うが、このキャラクター達に共通しているのは行動原理があることだ。3キャラとも登場当初は主人公達を邪魔するような行動を取るのだが、物語を見るうちに全員どんな背景があったのか明らかになっていく。

背景を知った主人公達はそれに同情して

 

1の大神田にはステージを見せて心を動かし、且つ過去の友達と会わせて過去のトラウマは誤解であったこと、プリパラ活動はいいものだと再認識させる

2のユニコーンとファルルは、動かなくなったファルルをステージと歌と皆の気持ちで復活させる。ファルルは心を持ったまま復活し、失礼な言動はしなくなる。マネージャーユニコーンはファルルと仲良くなることができるようになる

3のひびきには友情パワーで最も実力のあったひびきに勝利して本筋を取り戻し、ひびきとも友達になることに成功する。口説かれた子もひびきは友達が欲しかったことを理解し、心を開きなおしてひびきと友達になる

 

というアプローチで解決する。解決し終えた後にはしこりは残らず、嫌いだったこれらのキャラも何故か好きになっている

 

 

 

見出しの「プリパラにはなぜ嫌いなキャラがいないのか」という話に戻る

憎ましいキャラがいるのにもかかわらず何故見終えた後には嫌いなキャラが居なくなっているのかというと

 

カタルシスという方法が物語で取られているからだと推測する

 

カタルシスとはアリストテレスが提唱したもので、一言で分かりやすく言うと「浄化」である

物語の中での悲劇や澱みが初めにあったとして、それに至る本当の理由が終盤で判明して最後に理解されて解放される。理解と解放を主人公達と視聴者は共に行う事で私たちの気持ちは浄化され、「いい話だったな」という感情に最後には変化する

 

プリパラの3人の悪役はそれぞれの経験に基づく正義を振りかざしている。私達はその正義を知らない状態であるが故に物語の澱みとして、嫌いな行動として初めは見てしまう

しかしその正義の行動原理が理解され、また正しい方向へと解決されることで私達の澱みは無くなり、浄化されることになる。プリパラの子はみんないい子ばかりだと、最後にはそんな感情を抱くことになる

 

プリパラに限った話ではない。私達の今まで触れてきた物語にそういった展開はごまんと有ったはずだ。殺人事件の起きる刑事物の本とか。

 

私達は物語の中で悲劇と浄化を経験して、終わった後にはすっきりした気持ちになっていることが多くあると思う

プリパラのキャラに憎ましい人がいないのは、ずばりカタルシスという手法が使われているためだと僕は考察する

 

 

 

そしてもう一つ。罰というものも関係していると考えている

例えば学校でいじめがあってその生徒が死んでしまったという話があったとする。読者はどんな理由があったにしろいじめっ子が生き残っていたまま物語が終わってしまったら納得するだろうか。いや納得しない

死という重さに対して私達はそれなりの罰を要求するものだ

何人もの人を殺してきた殺人犯がいたとして、読者や視聴者が理解を終えた後に死ぬ、または死んだ後に理解を終えることで神話のような良い物語だったと錯覚するのではないか

 

目には目を歯には歯を。そんな考えを打ち砕いているのもプリパラの澱みを残さない点でもある

 

プリパラでの上記の3つのエピソードは「人の死」のような極めて重いものではないが終わった後には主人公達は全て許す。

何かをやり返したいという報復的な考えは連鎖を生んでしまう。報復するという考えを取っ払って「全て許しまーす」という考え方を用いることで主人公目線である私達もしこりを残さずにいられるのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけでプリパラに嫌いなキャラが出来ない理由を僕なりに考えてみたのだが、自分の手で物語を作る人にもそこそこ参考になる話にはなったんじゃないかな

 

 

 

 

 

 

おしまい