陰毛大臣

人間オタク

だらだら書いた(続き2)

あらすじ

広島まで電車で着いた俺は埼玉までの携帯、金を一切持たないヒッチハイクを始めた。おっさんに乗せてもらってパーキングエリアに着いた

 

 

1人に乗せてもらった俺は勢いづいて次々と車に乗せてもらった

ということはなく、またも地蔵(話しかけられずに時間だけ過ぎること)を繰り返していた。

 

パーキングエリアの喫煙所に座って、ただじっと話しかけたら快く乗せてくれそうな人を目で探していた。

 

30分くらいして車を出発させようとしている人に話しかけた。

「すみません、ヒッチハイクしてるんですけど良かったらご一緒させてくれませんか?」

「ちょっと上司に確認するから待ってて」

 

仕事中の人に話しかけてしまったようだが好印象で結局乗せてもらえて岡山県へ入る事が出来た。

気さくな人で、車の中では先程と逆でヒッチハイクすることを褒めて貰ったりした。

あとは地元や岡山弁はこんなイメージだ、みたいなたわいもない話をした。

 

 

 

2人目を乗せてもらった俺は勢いづいて次々と車に乗せてもらった
ということはなく、またも地蔵(話しかけられずに時間だけ過ぎること)を繰り返していた。

 

 

大事な事なので聞いてほしいのだが

実はこのヒッチハイク旅、要約すると自分の勇気が足りずにこんな事ばかりをしながら埼玉まで帰ってきた。

自分はこのヒッチハイクで知らない人から優しさを貰い、お世話になった人の生き方考えていることを見て自分の成長に役立てようと思っていた。

下道を通り、人の家に泊まり、自分の世界を広げたかった。今いる場所から完全に離れて全く知らない人からの無償の優しさを感じたかった。

 

 

 

途中で同じヒッチハイクをしている人に話しかけた。

「なぜヒッチハイクしてるんですか」

「よくヒッチハイクして遠くの友達のところに遊びに行ったりするんだ」

 

ヒッチハイクする人は皆自分なりのストーリーや得るべきものがあるのかと思っていた。

自分は車にタダで知らない人を乗せて貰うのは普通迷惑な事だと思っていたのでそんな考えをするんだ、と感心した。

もう二度とヒッチハイクはしたくないな、と道中心に決めた。

 

 

滋賀県の大津で全ての服が汗臭くなり、コインランドリーを使いたくなった。

 

「すみません、100円くれませんか?」

 

洗濯するための100円乞食をおれはついに始めた。

 

事情を話せた会社員がぶっきらぼうに100円を渡してくれた。

 

その日は大津駅の駅のトイレで全裸になって体を流し、ホームレスの隣で寝た。

自分はコインランドリーは100円あれば使えるかな、使えなければ利用する人にまた乞食しよう。と思っていた。

 

次の朝コインランドリーに行くと人がおらず乞食出来る状況でなかった。

コインランドリーの洗濯機は300円が必要で、乾燥機に100円が必要だった。

「乾燥機しか使えないな。」

僕はそう呟き洗濯機を眺めていた。

すると洗濯機に(ドラム洗浄  無料)と書いてあるのに気づく。

ドラム洗浄とは、洗濯機を使う前に中の衛生をよくするもので1分ほど水が流れる。

 

僕は洗濯機に1つ残して全ての服を入れてドラム洗浄のボタンを押した。

ドラム洗浄後、中の服をそのまま乾燥機に入れて100円を使った。

 

洗濯はできなかったけれどこれでいいか。

僕は乾燥機が終わった後、中の服を取り出した。

びしょ濡れだった。

 

洋服を絞り、近くの塀に干して僕は寝た。

 

日向に当たりながら道路のすぐ側で横になって寝る僕はまるで自由を謳歌するホームレスだった。

 

 

その後乾いた洋服を持ち出して高速道路のパーキングまで歩いて戻った。

それからはかなり一瞬だった。1日かけて確か厚木の方位まで帰って来ることが出来た。

夜に着いた最後のパーキングは大型トラックしか止まっておらず、それは僕に少しの恐怖を与えた。

 

滋賀から関東の間は

宇都宮出身のヤンキー校の人の話を聞いたり、とあるお父さんの好きなAKBのアイドルを聞いたり、子連れのお母さんの子供の将来の悩みを聞いたりした。どの方も優しくしていただいたり、食べ物を奢っていただいたりもした。感謝しきれない。

 

次の日、夜を明かしたパーキングで地蔵や断られたりを繰り返したりして立ち往生した。というか長距離トラックが多すぎてヒッチハイクには明らかに適していないパーキングだった。

そして昼を過ぎた頃にやっと乗せて貰えそうな人が現れた。

その人は持っているバックいっぱいにメビウスのレギュラータバコを何故か敷きつめ、タバコを喫煙所でも無いのに吹かしていた。

「すみません、ヒッチハイクハイクしていて、東京の方まで乗せて貰えませんか」

と尋ねると

ヒッチハイク?」

と相手の方はしきりに聞いていた。ヒッチハイクという言葉を知らなかったのだろうか。その人は話しかけてから気づいたが中国人だった。

いくらか話した後にその方は仲間に電話をかけ、日本語の得意な人が電話から声を出した。そしてスピーカーにして僕に声を繋げると

「君、名前なんていうの?大学は?」

電話番号と名前と大学を聞かされた。

僕は「普通に怖!」って思いながら断る状況にもなく、教えた。

 

それから少し話し、何故か分からないが了承を貰って乗せてもらうことになった。その話しかけた人の連れが3人居て、6人乗りの車の一番後ろにちょこんと乗せられた。家族に連れられる犬の様に。

それからは殆ど僕に話が回ることも無く、話しかけることも出来なかった。4人で中国語の大声でずっと何かを話しているからである。そしてタバコをすい始めたかと思うと窓を開けて灰を捨てる。異文化のパワーに圧倒されて正直何も出来なかった。

国会の方に彼らは観光に来ていたようで、ようやく僕としても長かった高速道路を降りた後、その近くで降ろされた。

日本語の喋れない連れの人が英語でここから入っていいの?と言って僕は「yes.おkェ」とか答えていた。

 

その人が親切で、僕に帰りの電車の交通費を分けてくれた。その金で僕は晴れて家へと帰ることが出来た。

 

 

僕のヒッチハイク人生は黒人からきっかけで始まり、中国人で終わったわけだ。もう二度としないので。

僕は言葉の通じなさや感性の違いから少しだけ外国人と言うだけで警戒してしまっていた所があったが、とても優しさを貰ってイメージをがらりと変えた。

 

そしてこのヒッチハイクの旅、滋賀のトイレの1度しか水浴びをしておらず、そのほかの時間は全て炎天下に投げ出されていて、自分の匂いがめちゃくちゃ気になっていた。正直ずっっっっと気になっていた。

家に帰って、母親に「俺臭い?」と聞いた。

「別に」と返された。杞憂だった。

俺は臭い、というループするイザナミの中に僕はいた訳だ。

 

 

よい経験(?)が出来ました、乗せてもらった方々に本当に感謝しています