「いただきます」と言わされる理由は何なのか
ふと唐揚げ弁当を昼に一人で食べる前に「頂きます」と言って、疑問に感じた。
なぜ小さい頃から「いただきます」という単語を言わされ続けるのか。
食材や作ってくれた人への感謝と当たり前に言えばそうなのだが正直面倒だ。自分の幼稚園なんて仏教校だったため謎の呪文を10秒くらい唱えてからいただきますをしていた。
自分なりに考えた答えだが、これを言わされ続ける意味は「感謝」の気持ちを何に対しても感じる、言えるようになる為だと結論付けた。
人間に何かに影響されずに育った人なんていない。
体育会系のノリで生きてきた人は体育会系になるし
小さい頃いじめられた人は性格がその反動で強くなったり弱くなったり。
親の服がダサすぎてファッションセンスを磨いて良くなるのも影響だ。
そしてこういった性格や価値観への影響は小さい頃程よく形成されやすい。
そういった中で我々の幼少期の教育は未来において大事だと言える。
また僕が過去に記事に挙げたかどんな記事になっていたかは忘れたが
鬱に効く方法は感謝だと言った。
これは事実としてどうなのかはわからないが、人間として綺麗に生きるためにキーワードになる言葉は間違いなく「感謝」であると思う。
他人と共存、他人がいないと生きられない世の中で自分が健康で生きていることに感謝すべきだ。親にでも日本にでも様々なものにいちいち感謝することが人間的だ。感謝の知らない人間はサイコパスだのアスぺだの謎のレッテルを押し付けられてしまう。
この二つを合わせ
①日ごろ感謝するという感情を暮らしていて忘れることが多々あると思うがその感情を思い出させて、人間に還って貰うため②幼少期から感謝という感情を体に覚えさせるために「いただきます」と言わされ続けるのではないか。
諸説あるので一度気が向いたら考えてみてください